教皇フランシスコ、2021年9月8日の一般謁見 バチカン・パウロ6世ホール 教皇フランシスコ、2021年9月8日の一般謁見 バチカン・パウロ6世ホール 

キリストにおける平等と一致、教皇一般謁見

教皇フランシスコは、9月8日(水)、バチカンで一般謁見を行われた。

 教皇フランシスコは、9月8日、水曜日恒例の一般謁見をバチカンのパウロ6世ホールで行われた。

 この日、教皇は、使徒聖パウロの「ガラテヤの信徒への手紙」をめぐるカテケーシスの中で、「わたしたちは神の子」をテーマに話された。

 「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3,26-28)

 パウロは「ガラテヤの信徒への手紙」でこのように記し、イエス・キリストにおける信仰によって、人は真に神の子となることが可能になると述べている。

 これに対し、わたしたちキリスト者は、「神の子」であるという事実をしばしば忘れているのではないか、と問いかけた教皇は、わたしたちは洗礼によって神の子となった日をいつも思い起こし、その時受け取った大きな恵みを意識すべき、と強調された。

 ここでパウロのいう神の子としての立場は、すべての人は唯一の創造主の子であるという一般的な関係を指しているのではない、と述べた教皇は、信仰こそが「キリストに結ばれて」(同3,26)神の子になることを可能にするとパウロは言っている、と話された。

 大切なのは「キリストに結ばれて」いることであり、キリストへの信仰を受け入れる人は、洗礼を通し「キリストを着て」(参照 同3,27)、神の子としての尊厳を身に着けることになる、と教皇は説明された。

 また、教皇は、聖パウロがその書簡の中でたびたび洗礼について言及し、洗礼を受けることは、キリストの神秘を受けつぐことと同様であると説いている点を指摘。

 パウロが「ローマへの信徒への手紙」において、洗礼によってキリストに結ばれることは、キリストと共に死に、葬られ、共に生きることでもある(参照 ローマ6,3-14)と書いているように、洗礼とは単なる外面的な典礼ではなく、人の内面を深く変容し、神に向かって「アッバ、父よ」と叫ぶことのできる(参照 ガラテヤ4,6)新しいいのちを与えるもの、と教皇は説かれた。

 さらに、教皇は、パウロが洗礼が与える完全に新しい状態について、「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません」(同3,28)と大胆に述べていることに注目。当時の民族・宗教・社会的な差異の概念を覆し、キリストにおける平等を説くパウロの言葉の「革命的な価値」を示された。

 「あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つ」(同3,28)というように、パウロは、洗礼を受けたすべての者の間にある深い一致を強調したが、それは、キリストにおいてすべての人は新たにされ、あらゆる差異は、神の子の尊厳を前に二次的なものとなるからである、と教皇は語られた。

 教皇は、神の子であることの素晴らしさ、キリストにおいて兄弟姉妹であることを再発見し、聖霊に導かれ一致の道を歩むようにと、信者らを招かれた。

08 9月 2021, 13:59

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