聖体大会の歩み、その歴史と教皇たちの関わり
教皇フランシスコは、9月12日(日)、ハンガリーの首都ブダペストで、「第52回国際聖体大会」の閉会ミサをとり行われた。
聖体大会は、聖体への信心を促進するための司祭と信徒たちによる集会。各国の国内レベルの大会と、4年ごとに開催地を変えて行われる国際レベルの大会がある。
最初の大会から世界大戦後まで
1880年、フランスのリールで最初の聖体大会が地方教会レベルで開催された。2回目の大会が同じくフランスのアヴィニョンで行われた後は、リエージュ(ベルギー)、フリブール(スイス)など、開催国を移しつつ、1888年のパリ大会の頃には国際的性格を帯びるものとなっていた。
1905年、教皇聖ピオ10世のもと、初めて聖体大会がローマで開催され、大会に対する関心がより高まった。
1910年、聖体大会はついに海を越え、カナダのモントリオールで行われた。
1914年のルルド大会後、第一次世界大戦(1914-1918)の影響で、聖体大会は中断。1922年、教皇ピオ11世によって、ようやく大会はローマで再開された。
この時のローマ大会から第二次世界大戦まで、国際聖体大会は二年毎に、米シカゴ、豪シドニーなど、さらに多様な国・都市を開催地としながら行われ、1930年には、当時のフランス保護領チュニジア・カルタゴで初のアフリカ大陸での大会が開かれた。
1938年、ブタペストで開かれた大会が、第二次世界大戦前の最後のものとなった。第二次大戦後、国際聖体大会が再開されたのは、1952年のバルセロナ大会であった。
第二バチカン公会議と共に
第二バチカン公会議(1962-1965)は、聖体大会をより世界に向けて開き、その宣教的役割をも強めることになった。
教皇聖ヨハネ23世は、第38回国際聖体大会をインドのボンベイ(ムンバイ)で開催することを選択。1964年の同大会参加のために、教皇聖パウロ6世はインドを訪問した。聖パウロ6世は、1968年のコロンビア・ボゴタ大会にも参加している。
教皇聖ヨハネ・パウロ2世は、1985年のケニア・ナイロビ大会、1989年の韓国・ソウル大会、1993年のスペイン・セビリア大会、1997年のポーランド・クラクフ大会に参加、そして、2000年の大聖年にローマ大会を主宰した。
教皇ベネディクト16世は、2008年のカナダ・ケベック大会の閉会ミサで、バチカン宮殿から中継で説教を行われた、2012年の第50回目にあたるアイルランド・ダブリン大会では、閉会式にビデオを通しメッセージをおくられている。
教皇フランシスコは、2016年のフィリピン・セブ大会にメッセージをおくられた。そして、2020年に予定され、パンデミックのために2021年に延期された、このハンガリー・ブダペスト大会の閉会ミサを、9月12日に司式された。
今回、ブダペストで国際聖体大会が開かれたのは、1938年から実に83年ぶりとなった。