教皇フランシスコは、労働者の搾取の現状を問うイタリア人作家の公開書簡に回答し、利益追求の世界において尊厳を傷つけられた人々を前に、わたしたちにできることは何かを考えられた。
教皇が回答の書簡を寄せられたのは、イタリアの新聞「イル・セーコロ・デーチモノーノ」。数日前に同紙に掲載されたイタリアの作家・ジャーナリスト、マウリツィオ・マッジャーニ氏の公開書簡に答える形で、教皇もご自分の意見を寄せられた。
この公開書簡でマッジャーニ氏は、自分が語りたいことは声を持たない底辺の人々のストーリーである、と述べている。
しかし、同氏は、最近のニュースで、自分や他の作家たちの書籍の出版・流通に関わるある企業が、移民出身の労働者を奴隷的に搾取していたことを知り、たとえ素晴らしい考えに満ちた作品を書いたとしても、その出版のために奴隷的な労働を必要とするのならば、いったいどういう意味があるのだろうか、と問うている。
マッジャーニ氏がこの問題提起において、「無駄な問いかけかもしれないが」と前置きしていることに対し、教皇は回答書簡の中で、「あなたの質問は無駄ではありません。そこには、今日多くの人の沈黙をよいことに、あまりにも容易に蹂躙されている尊厳の問題がかかっているからです」と述べている。
教皇は、パンデミックによるロックダウンの最中にも毎日わたしたちの食卓にのっていた食べ物の裏には、権利を保証されていない無数の労働者たちの存在がある、と指摘。
人間の精神を高める「魂のパン」であるはずの文学と、顔と名前を持たない搾取された多くの人々との間には、おそらくいっそうの不調和があるかもしれない、と記された。
あきらめることは解決にはならない、と述べた教皇は、わたしたちにできることを、二つの「動詞」をもって示された。
一つは、「死のメカニズム」「罪の構造」を「告発する」こと。そして、もう一つは、「あきらめる」ことである、と教皇は説いた。
「あきらめる」とは、文化や文学をあきらめることではない、と述べた教皇は、それは、人間の搾取や尊厳の侵害をもたらすメカニズムに結びつく習慣や利益をあきらめることである、と説明。
それは、すなわち、立場の弱い人を助けるために、自分たちの立場や快適さをあきらめること、より大きな「イエス」のために「ノー」を言うことである、と記している。
教皇は、侮辱された多くの人々を前に、富や利害だけが大手を振る世の中にあって、文化が市場に服従することがないように、と願われた。
