教皇「すべての人にアクセス可能な医療を」入院先で正午の祈り
教皇フランシスコは、7月11日(日)、入院先であるローマ市内のアゴスティーノ・ジェメッリ総合病院から、正午の祈りを唱えられた。
教皇が公の場に姿を見せられたのは、ちょうど一週間前の7月4日(日)の正午の祈り以来。同日午後から、教皇は結腸の手術のためジェメッリ病院に入られ、今日まで術後の日々を過ごしてこられた。
正午に、教皇は、ジェメッリ病院の10階(日本における11階)にある病室のバルコニーに、同院に入院中の子どもたちと共に姿を現わされた。
病棟の下には、大勢の市民が詰めかけ、教皇を温かい歓声で迎えた。
「お告げの祈り」を唱える前の説教で、教皇は、この入院生活の中で多くの人が寄せてくれたお見舞いや祈りに深い感謝を述べられた。
入院先から行われた「お告げの祈り」の際の、教皇の言葉は次のとおり。
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親愛なる兄弟姉妹の皆さん
ここジェメッリ総合病院からも、日曜恒例の「お告げの祈り」の集いを続けられることを、うれしく思います。
皆さんに感謝を申し上げます。わたしは皆さんの寄り添いと、支え、祈りを大変に深く感じました。心からお礼を申し上げます。
今日のミサ中の福音は、イエスによって派遣された弟子たちが、「油を塗って多くの病人をいやした」(マルコ6,13 )と語っています。
この「油」とは、魂と体に慰めをもたらす、病者の塗油の秘跡を思わせます。
しかし、それは同時に、病者の世話にあたる人の、耳を傾ける態度や、寄り添い、思いやり、いつくしみでもあります。それは病者に元気を与え、苦しみを和らげ、慰める、優しさのようなものです。
わたしたちは皆、いつかはこの「塗油」を必要とします。そして、わたしたち皆が、支えを必要とする人に対し、会いに行ったり、電話したり、助けの手を差し出すことで、その油を与えることができるのです。
マタイ福音書25章にあるように、最後の審判で、病気の人たちを見舞ったかどうかが問われることを思い出しましょう。
ここ数日の入院生活で、イタリアや他の国々にある、すべての人がアクセスできる良い医療サービスが、いかに重要かを体験しました。
それは、皆にとって利用可能な良いサービスを保証する医療制度です。この貴重な制度を失ってはなりません。そのためには、すべての人の努力が必要です。なぜなら、それは皆に役立つものであると同時に、皆の寄与によって成り立つからです。
時に、教会系の医療施設でも、経営難のために最初に思い浮かぶことは、売却することです。しかし、教会系の病院には召命があります。それは、お金のためではなく、奉仕のためです。無償性あるシステムを守ることを忘れてはなりません。
医師たち、また、すべての看護師や、病院で働く人々に、わたしの尊敬の念を表し、励ましをおくりたいと思います。
そして、最も難しい状況にある人々をはじめ、すべての病者のために祈りましょう。
ここには、お友だちの小さな患者さんたちがいますが、子どもたちが苦しむのはなぜでしょうか。なぜ子どもたちが苦しまなければならないか、これは胸に響く問いです。子どもたちを祈りをもって見守ると共に、すべての病者のために祈りましょう。
誰一人、置き去りにされることなく、それぞれの人が、傾聴や、寄り添い、優しさ、治療という「塗油」を受けることができますように。わたしたちの母、病人の快復なる聖マリアの取りつぎを願いましょう。