「聖人たちとの交わりの中で祈る」教皇一般謁見
教皇フランシスコは、4月7日、水曜恒例の一般謁見をバチカン宮殿からビデオ中継で行われた。
復活祭後のこの謁見で、教皇は再び「キリスト教的祈り」をめぐるカテケーシスに戻りながら、特に「聖人たちとの交わりの中の祈り」について考察された。
「わたしたちが祈る時、決して一人で祈っているわけではない。わたしたちは自分に先立つ、また自分の後に続く、滔々たる祈りの大河の中にいる」と教皇は述べた。
そして、「わたしたちが祈るたびに、知っている聖人、また知らない聖人たちが、人間生活の先輩、兄弟姉妹としてわたしたちと共に祈り、わたしたちの祈りを取り次いでくれる」と話された。
「教会には、孤独な喪や忘れられた涙は存在しない」と述べた教皇は、古い教会には、かつて聖堂を囲むように庭に人々の墓があったように、あらゆるミサには先人たちの群れも何らかの形で参加している、と語った。
「聖人たちはここに、わたしたちの近くにいる」と教皇は話し、彼らの存在は教会において「おびただしい証人の群れ」(ヘブライ12,1)となって、わたしたちを常に囲み、唯一の主であり神と人間の仲介者であるイエス・キリストからわたしたちが離れることがないように、様々な方法で働きかけていると説明した。
聖人たちは、「神を直観し、神をたたえ、この世に残る人々のことをたえず配慮しています。…これらの人々の執り成しというのは、神の計画をお手伝いするためのもっとも崇高な行為です。わたしたちは聖人たちがわたしたちや全世界のための執り成しをしてくださるようにと祈ることができ、またそう祈らなければなりません」(カトリック教会のカテキズム 2683)。
このように教会のカテキズムを引用された教皇は、キリストにおいて新たないのちへと移った人々と地上の巡礼を続ける人々の間に存在する神秘的な絆を強調。亡くなった愛する人々は天からわたしたちを見守り、わたしたちのために祈り、わたしたちもまた彼らと共に祈る、と話された。
互いに祈りを交換したり、他者のために祈りを捧げるなど、こうした祈りの絆はすでにわたしたちの地上の生活から始まっている、と教皇は指摘。「誰かのために祈る最良の方法は、神にこれらの人々のことを話すことであり、他者のために祈ることは、他者を愛し具体的に寄り添うための一番の方法である」と説かれた。
また、教皇は「不安な時代に立ち向かう最良の方法は、兄弟たち、特に聖人たちにわたしたちのために祈って欲しいと願うことである」と述べ、「聖母やある聖人の名にちなむ洗礼名は飾りではなく、意味を持っている。聖人たちは、わたしたちの必要のために快く神に取り次いでくれるだろう」と話された。
わたしたちの人生において、試練が最悪を極めることなく、わたしたちがまだ忍耐や信頼を保っているならば、それはわたしたちの手柄ではなく、おそらく多くの天上と地上の聖人たちの取りつぎのおかげかもしれない、と教皇は語った。
教皇は、聖人は地上にもいるが、ただ本人も、わたしたちもそれを知らない、と述べ、わたしたちと共に生き働く「身近な聖人」、「日常の中の隠れた聖人」たちの存在を示された。