「真の羊飼いであるイエス」教皇、日曜正午の祈り
教皇フランシスコは、4月25日(日)正午、バチカンでレジーナ・チェリの祈りを唱えられた。
「よい牧者の主日」と呼ばれる復活節第4主日、教皇は説教で、ヨハネ福音書中の、イエスがご自身を「よい羊飼い」にたとえる場面(ヨハネ10,11-18)を取り上げられた。
教皇は、イエスはここでご自分を、羊を「守り」「知り」「愛する」牧者として示している、と述べた。
「よい羊飼い」に相反する立場は、「自分の羊を持たない雇人」であり、彼にとって羊は自分のものではないために、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げてしまう(参照 同10,12-13)と教皇は話した。
これに対し、真の羊飼いであるイエスは、その言葉の光と、存在の力によって、常に羊を困難で危険な状況から「守って」くださり、それをわたしたちはいつも体験している、と語られた。
また、よい羊飼いであるイエスは、ご自分の羊を「知り」、羊もイエスを知っている(参照 同10,14)と述べた教皇は、イエスがわたしたち一人ひとりを知っておられ、わたしたちがイエスにとって名もない存在ではないことは、なんという慰めだろうか、と話された。
わたしたちそれぞれが、独自の歴史や価値を持った唯一の存在であり、イエスはそれを誰よりもよくご存じである。イエスはわたしたちの長所も短所も知っておられ、わたしたちの過ちによる傷を、その豊かな憐れみによっていつもいやしてくださる、と教皇は語った。
さらに、教皇は、よい羊飼いイエスは、ご自分の羊を守り、知るだけでなく、何よりも羊を「愛し」、羊のために命を捨てる方である(参照 同10,15)と強調。誰一人失われてはならないという御父の御心を果たすべく、イエスはわたしたち一人ひとりへの愛ゆえに十字架にかかられた、と述べられた。
イエスの愛はすべての人を抱擁し、実際、福音書の中でイエスは「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなくてはならない」(ヨハネ10,16)と言われているとおりである、と教皇は話し、教会はこの使命を受け継ぐように招かれている、と説かれた。
わたしたちが、羊を「守り」「知り」「愛する」よい羊飼いイエスにすすんで従い、イエスの使命に喜びをもって協力できるよう、教皇は聖母の助けを祈られた。