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聖木曜日 レ枢機卿司式による「主の晩餐の夕べのミサ」 2021年4月2日 聖木曜日 レ枢機卿司式による「主の晩餐の夕べのミサ」 2021年4月2日  (Vatican Media)

聖木曜日:バチカンで主の晩餐の夕べのミサ

「聖木曜日」の午後、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、「主の晩餐の夕べのミサ」が捧げられた。

 4月1日、「聖木曜日」の夕方、教会の典礼は「「過ぎ越しの聖なる三日間」」に入った。

 同日午後、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、「主の晩餐の夕べのミサ」が、枢機卿会の首席、ジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿によって捧げられた。

 このミサでは、イエスが受難の前夜に使徒たちと共にした夕食で、聖体、ミサ聖祭、司祭職を制定したことを記念する。

 また、同ミサでは、イエスが最後の晩餐で食事の席から立ち上がり、自ら弟子たちの足を洗い、主であり師であるご自身がそうしたように、あなたがたも互いに足を洗わなければならないと、愛、謙遜、奉仕の模範を示したことにちなみ、「洗足式」が行われる。しかしながら、パンデミック防止対策のために、昨年に引き続き、今年も「洗足式」は行われなかった。

 レ枢機卿は説教で、高間で使徒たちに囲まれたイエスの最後の晩餐を生き生きと思い起こさせる、このミサの豊かな意味について話した。

 イエスは「弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(ヨハネ13,1)。それは、イエスが十字架上での死を遂げる時まで彼らを愛し抜いたということだけではなく、さらにそれを超越した、誰も及ばない究極の愛の力をもって愛されたということである、とレ枢機卿は話した。

 聖木曜日の夜は、わたしたちがどれほど愛されたか、神の御子の愛は、わたしたちの贖いのためにご自分を犠牲として差し出すほどであったことを思い出させるもの、と枢機卿は強調。「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる」(ヨハネ10,18)と言われたとおり、イエスはわたしたちのために自ら最も屈辱的な死を受け入れられた、と振り返った。

 聖体の存在は、キリストがわたしたちを愛し、一人ひとりの近くに、世の終わりまで留まることを望まれたからであり、ただ神だけがこのように偉大な贈り物を考え、ただ無限の力と愛だけがそれを可能にすることができた、とレ枢機卿は語った。

 教会は常に聖体の秘跡を最も貴重な賜物と考え、教会はそれによって豊かに育まれてきた。聖体という賜物を通して、キリストは光となり、力となり、糧となり、わたしたちの日々の歴史を支えてきた、と同枢機卿は話した。

 レ枢機卿は、聖体はただ信じるものでなく、それを生きるものであり、キリストのわたしたちへの愛は、わたしたちもまた互いに愛し合い、それを証しするようにと呼びかけている、と語った。

 パンデミックに対する大きな挑戦を前に、今こそわたしたちは、ご自分の体と魂をもって苦しまれ、孤独を体験したイエスから、力をいただく必要がある、とレ枢機卿は述べ、この悲劇が終わるまで人類は科学が可能とする手段を通しあらゆる力を尽くすべきであるが、同時に神の御手がわたしたちを助け、この悲劇的状況に終止符を打ってくださるよう、皆が一つとなり大きな祈りを上げなければならない、と話した。

 また、レ枢機卿は、わたしたちは聖木曜日の夜に、主のわたしたちに対するもっとも崇高な愛と友情を見る一方で、人間の裏切りをも見ることになる、と指摘。

 高間の食卓には神の愛と人間の裏切りが対峙していた、と話す同枢機卿は、聖木曜日は、自分の罪を見つめ、良心を問いただすように、わたしたちを招いている、と述べた。

 聖体において神はこれまでにないほどにわたしたちに近づかれたがゆえに、わたしたちは決して独りではない。なぜなら、神はいつもわたしたちを探し、愛し、悔い改めとゆるしの秘跡を通し、赦しの喜びを与え、神と兄弟姉妹により開かれた心をもって、わたしたちが霊的な再出発をすることを望まれているからである、とレ枢機卿は説いた。

02 4月 2021, 10:15