イラク訪問:教皇「毎日の証しを通し、真福八端を生きる」

教皇フランシスコは、イラク訪問2日目午後、バグダッドのカルデア典礼カトリック教会のカテドラルでミサを捧げられた。

 教皇フランシスコは、イラク訪問2日目、3月6日午後、バグダッドでミサを捧げられた。

 同日早朝からイラク南部を訪れ、ナジャフで同国のイスラム教シーア派最高権威シスタニ師と会見し、ウルで諸宗教代表者らとの集いを持たれた教皇は、午後、再びバグダッド入りし、カルデア典礼カトリック教会のカテドラルに赴いた。

 聖ヨセフに捧げられたこのカテドラルは、バグダッドの旧市街から新しい地区に移ってきたカルデア典礼の信者たちのために、1956年に献堂されたもの。

 教皇は同聖堂でイラク訪問での最初のミサをとり行われた。

 カルデア典礼によるこのミサは、イタリア語、カルデア現代アラム語、アラビア語で司式され、信徒の祈りには、クルド語やトルクメン語も用いられた。

 ミサの説教で教皇は、「最も小さな者は憐れみを受けるにふさわしい。しかし、力ある者は力による取り調べを受ける」という「知恵の書」(6,6)の一節を引用。

 世にとって持たざる者は見捨てられ、豊かに持つ者は優遇されるが、神にとってはそうではなく、権力を持つ者たちは厳しく調べられ、貧しい者たちは先になる、と述べられた。

 この「逆転」を福音において完成されたイエスは、「真福八端」で、貧しい人々、悲しむ人々、迫害される人々は「幸いである」と教えている、と教皇は話した。

 どうしてそのようなことが可能なのか、イエスの提案は受け入れるに値するのか、と教皇は問いかけながら、「真福八端」の中心にあるのは愛であり、イエスの提案は世の目には無力に見えても、最後は勝利する、なぜなら、イエスは十字架上で罪より強いことを示し、墓において死に打ち勝ったからである、と説かれた。

 この同じ愛が、古今の殉教者たちを試練の中で勝利者にした、と教皇は指摘。愛は、イエスの名のもとに侮辱され迫害された兄弟姉妹たちの力であった、と語られた。

 では、「真福八端」の教えをどのように実践したらよいのだろうか。教皇は、幸いな者とは、柔和さをもって生き、置かれた場所で憐みを示し、心の清さを保つ者である、と述べ、英雄さをしばしば示す必要はなく、毎日の証しを通じてこの精神を生き、力や権力に頼らずに、「真福八端」によって世界を変えていこう、と招かれた。

 また、教皇は、愛することを知る者は、物事がうまくいかない時も自分自身に閉じこもることなく、十字架の勝利の知恵を思い出しながら、悪に善で応える、と説かれた。

 神はご自身の約束を「わたしたちの弱さを通して」かなえられる、と述べた教皇は、自分の手が空に見えても、不信に襲われても、挫折を感じていても、恐れることはない、と強調。

 「真福八端」は、苦しみ、正義に飢え渇き、迫害されるあなたのもの、神はあなたの名を心に、天に刻まれる、と、教皇はイラクのカトリック信者たちを励まされた。

06 3月 2021, 18:20