バチカンで行われた奉献生活のための教皇ミサで 2020年2月1日 バチカンで行われた奉献生活のための教皇ミサで 2020年2月1日 

世界奉献生活の日:教皇「恵みを知ることを出発点に」

教皇フランシスコは、「世界奉献生活の日」のミサをとり行われた。

典礼暦で「主の奉献」を祝った2月2日、カトリック教会は「世界奉献生活の日」を記念した。

教皇フランシスコは、「世界奉献生活の日」を前にした2月1日夕方、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、ローマや各地から集った男女の奉献生活者たちとミサを捧げられた。

ミサのはじめに行われたろうそく行列では、参加者一人ひとりが手にする小さなともし火が、信仰の象徴となって、明かりを落とした大聖堂内いっぱいに瞬いた。

ミサの説教で教皇は、「主の奉献」の場面で、「わたしはこの目であなたの救いを見た」(ルカ2,30)と、幼きイエスを腕に抱き、神をたたえるシメオン老人の言葉を観想された。

聖霊の導きによって、小さくか弱い幼子イエスの中に神を認めたシメオンは、「命にもまさる恵み」(参照:詩編63,4)を見て、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕(しもべ)を安らかに去らせてくださいます」(2,29)と言い、これ以上の何ものも欲しなかった、と教皇は述べた。

教皇は、奉献生活者たちも、この世の富より価値ある宝を見つけ、そのために財産も、家庭を持つことも捨てた人たち、イエスの中にすべてを見、その眼差しに心を奪われ、それ以外のすべてを置き去った人々であると強調。

奉献生活はこうしたビジョンの中で、人生に一番大切なことを見きわめ、シメオンのように両手を広げて主の恵みを受け入れ、毎日自分を省みて「すべては賜物、すべては恵み」と言える生き方であると語った。

「恵みを知ることが出発点」と教皇は話し、自分の人生を振り返り、惨めさの中でもわたしたちを愛し与える神の誠実さを知り、わたしたちを新たにするその赦しに自らを開く必要を説かれた。

奉献生活を脅かすものとして、教皇は「世俗的な眼差し」を挙げ、世俗的な視線は人生で一番大切な神の恵みを見えなくし、成功や、感情的な慰め、自分勝手な行動などにその代わりを求めさせる、と述べた。

奉献生活が神を中心に回らなくなる時、「自分自身」に負け、主ではなくこの世だけに関心を持つようになり、石のように硬化した心の中で、悲しみと不信をつのらせることになる、と教皇は話した。

小さく謙遜で、人から仕えられるためではなく、人に仕えるためにやって来たイエスを見て、シメオンが自分自身を「僕(しもべ)」と呼んでいることを教皇は指摘。イエスを見つめる者は、仕えるために生きることを学ぶ、と述べられた。

では、奉献生活において、仕えるべき隣人はどこにいるのか。教皇は、それをまず自分の共同体、自分に与えられた兄弟姉妹たちの中に見出し、そこから愛徳の業といつくしみの眼差しを広げていくようにと勧められた。

シメオンの目が救いを見たのは、それは彼が希望をもって待ち望んでいたからである、と教皇は話し、奉献生活者たちが希望の源である主から決して離れず、「希望を知る眼差し」を保ち続けることを願われた。

 

02 2月 2020, 19:29