聖母の被昇天:教皇「小さなことにとらわれず、天国の偉大さを選ぼう」
カトリック教会の典礼暦は、8月15日、「聖母の被昇天」を祝った。
聖母の祭日、教皇フランシスコは、バチカンで正午の祈りを巡礼者と共に唱えられ、その際の説教でマリアの賛歌「マニフィカト」を観想された。
教皇は、賛歌の冒頭にある「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」(ルカ1,46-47)というマリアの言葉を引用。この中の「あがめる」「喜びたたえる」という2つの動詞に注目された。
わたしたちは、ある良い結果、素晴らしい知らせなどを「喜びたたえる」が、マリアは神において「喜びたたえる」ことを教えている、と教皇は話した。
そして、マリアが神を「喜びたたえる」のは、神が「偉大なことをなさった」(同1,49)からである、と述べられた。
もう一つの動詞「あがめる」について、教皇は、ある現実の偉大さや美しさを賛美すること、と述べ、マリアは主の偉大さをたたえ、神がいかに素晴らしい方であるかを賛美している、と話された。
人生において偉大なものを求めることが重要であり、さもなくば、わたしたちは多くの卑小さの中に埋もれてしまう、と教皇は指摘。幸福な人生のためには、唯一偉大な方、神を第一に据えることが大切、と説かれた。
そして、しばしば、偏見や、怨恨、競争心、妬みなどの小さなことにこだわりながら生きているわたしたちに、マリアは自分の中に神がなさった「偉大なこと」に眼差しを向けるようにと招いている、と話された。
「小さく、謙遜なマリアは、天に上げられ、最も高い栄光を最初に受ける者となった」、「わたしたちと同じ人間であるマリアは、魂と体において永遠に到達した」と述べた教皇は、子が家に帰るのを待つ母のように、マリアはわたしたちを天国で待っている、と語られた。
人生の中の卑小なことにとらわれず、真の美しさを求め、天国の偉大さを選ぼう、と教皇は呼びかけ、わたしたちの真の家である天を、毎日信頼と喜びをもって見つめることができるよう、「天の扉」と呼ばれるマリアの助けを祈られた。