教皇フランシスコ、2018年7月1日、バチカンでの日曜正午の祈り 教皇フランシスコ、2018年7月1日、バチカンでの日曜正午の祈り 

「イエスの癒しと救いを引き出す信仰」教皇、日曜正午の集い

教皇フランシスコは、バチカンで7月1日(日)、正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

日曜恒例の集いで、教皇はこの日の福音朗読箇所、マルコ福音書の「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」(5,21-43)のエピソードを取り上げながら、説教を行われた。

教皇は、イエスによる、命をめぐる2つの奇跡が描かれるこの箇所を、まるで「命へと向かう勝利の行進」のよう、と表現された。

ここでは最初に、会堂長の一人であるヤイロという人が、イエスのもとに来て、自分の幼い娘が死にかけている、どうか家に来て癒して欲しいと、しきりと願う。

イエスはヤイロと共に出ていくが、そこに少女はもう亡くなったという知らせが届く。しかし、イエスは「恐れることはない。ただ信じなさい」(マルコ5,21)と会堂長に言われた。

ヤイロの家で、イエスは泣きわめく人々を外に出し、両親と3人の弟子だけを伴い、子供のところへ行った。イエスが子供に「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」(同5, 41)と言われると、少女は深い眠りから覚めたように、すぐに起き上がった。(参照:同5, 42)

この奇跡を語る中で、福音記者マルコは、もう一つの奇跡として、群衆の中でイエスの服に触れることで(参照:同5, 27)、長年の出血から癒された女の話を挿入している。

教皇は、この箇所で心を打つのは、キリストの持つ神的な救いの力を引き出した女の信仰であると語られた。

女が癒しを願ってイエスの服に触れると、イエスはご自分の内から力が出て行ったことに気づき、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。女が震えながら進み出て、すべてを話すと、イエスは「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」(同5, 34)と言われた。

2つの奇跡によって構成されるこのエピソードで、中心となるものは「信仰」であると教皇は強調。

ここでイエスは、命の泉、ご自分に完全に信頼する者に命を再び与える方としての姿を現されている、と話された。

教皇は、これらの奇跡において、少女の父親も、長年の患いに苦しむ女も、イエスの弟子ではなかったが、その信仰ゆえにイエスに願いを聞き入れてもらえたことに注目。

こうしたことからわかるように、主の道にはすべての人が招かれており、イエスの御心に触れるために必要なことは、ただ自分の癒しの必要を感じ、イエスに信頼することである、と説かれた。

イエスはこのような人々を群衆の中から見つけ出し、その人の存在を認め、生きることの恐れから解放してくださる。わたしたちも、生きる力を失いかけた人々に、イエスの解放の言葉と、癒しの眼差しを与えることを学ばなければならない、と教皇は話された。

「信仰」と「新しい命」というテーマが絡まり合うこのエピソードを観想された教皇は、「子供は死んだのではない。眠っているのだ」(同5, 39)というイエスの言葉にあるように、主の前では、「肉体の死」は眠りのようなものであり、これに絶望することはない、むしろ恐れるべきは、悪によってかたくなにされた「心の死」である、と指摘された。

罪でさえも、イエスにとっては、そこですべてが終わったというわけではないと教皇は述べ、イエスはわたしたちに御父の無限のいつくしみをもたらし、どん底に落ちた者にも「わたしはあなたに言う。起きなさい」という、強く優しい御声を響かせてくれるのである、と語られた。

01 7月 2018, 14:00