「容易でなくとも、敵のために祈る」
教皇フランシスコのサンタ・マルタ館の朝ミサから ...... 2018年6月19日
6月19日、教皇フランシスコは、朝のミサで、「敵のために祈ること」について話された。
説教でマタイ福音書(5,43-48)を取り上げた教皇は、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(同5,44)というイエスの言葉を観想された。
教皇は、毎日、「主の祈り」の中で「わたしたちの罪をお赦しください。わたしたちも人を赦します」と祈るように、人を赦すということは、自分が赦されるための「条件」であると指摘。
たとえそれが容易でなくとも、わたしたちは敵をゆるさなくてはならず、同様に、自分たちに困難や試練をもたらす人々のためにも祈らなくてはならない、と述べられた。
しかし、わたしたちを破壊しようとする敵のために、なぜ神の祝福を祈らなければならないのか。これは非常に理解が難しく思われるが、この論理は、ご自分を殺そうとする人々に対し、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と言った、イエスの御父への祈りの中に凝縮されている、と教皇は説かれた。
しばしば小さなことも赦せないわたしたちと、自分を迫害する者のために祈るようにと招くイエスの言葉の間には、果てしない開きがあるように思われると述べた教皇は、このキリスト教的神秘を理解し、すべての人をいつくしまれる御父のように完全な者になろうとする恵みを祈られた。
19 6月 2018, 16:02