バチカンでとり行われた列聖式 2018年10月14日 バチカンでとり行われた列聖式 2018年10月14日 

列聖式:新聖人たちの人となり

2018年10月14日に列聖された、聖フランチェスコ・スピネッリ、聖ヴィンチェンツォ・ロマーノ、聖マリア・カテリナ・カスパー、聖ナザリア・イニャチア・ディ・サンタ・テレザ・ディ・ジェズ聖ヌンツィオ・スルプリツィオの生涯を紹介する。

聖フランチェスコ・スピネッリ司祭

聖スピネッリ神父は、1853年4月14日、北イタリア・ミラノで生まれた。神学校での教育を終え、1875年、司祭叙階。その後、ローマにて、聖体の秘跡に現存するイエスに生涯を奉献しようとの意志を持つ若い女性たちの共同体を形成。聖カテリーナ・コンメンソーリ修道女との出会いをもって、至聖なる聖体の礼拝修道女会を創立。創立者および長上としての務めを忠実に果たし、1913年2月6日、その地上の生涯を静かに閉じた。1992年、教皇聖ヨハネ・パウロ2世によって列福された。

聖ヴィンチェンツォ・ロマーノ司祭

聖ロマーノ神父は、1751年6月3日、イタリア南部ナポリ近郊のトッレ・デル・グレコで誕生。1775年、司祭に叙階された。司祭として、故郷の町で熱心に司牧活動に励み、特に貧しい人々や、見捨てられた人々を助け、青少年の教育に尽力した。1794年6月15日、ヴェスビオ火山噴火により、トッレ・デル・グレコは、溶岩流により壊滅。こうした中、ロマーノ神父は、町の物的復興だけでなく、特に宗教的倫理の復興のために尽くした。1831年12月20帰天。1963年、聖パウロ6世教皇によって列福された。

聖マリア・カテリナ・カスパー修道女

聖カスパー修道女は、1820年5月26日、ドイツ・デルンバッハに生まれた。若い時期、力強い女性として、野良仕事や、道路工事のための採石場などでの重労働にも従事した。同時期、このような環境のもと、社会的に最も低い立場に置かれた女性たちのための修道会を作りたいとの思いを強くした。1848年「イエス・キリストの貧しい侍女会」を創立。特に貧しい人々の世話に従事した。修道会は急速に発展し、ドイツ国内やヨーロッパだけでなく、アメリカ大陸、さらにはインドにまで広がっていった。1898年2月2日心臓発作により死去。1978年、聖パウロ6世によって列福された。

聖ナザリア・イニャチア・ディ・サンタ・テレザ・ディ・ジェズ

聖ナザリア・イニャチアは、1889年1月10日、スペイン・マドリッドで誕生。家族と共に移住したメキシコで、見捨てられた高齢者たちの世話をする女子修道会の会員らと出会い、感銘を受けた。1908年、自らその会に入会。1911年、初誓願宣立後、ボリビアに派遣された。そこで悲惨な社会状況を目の当たりにしたナザリアの心に、より貧しい人々や、女性たちの地位向上のために奉仕する修道会を起こそうとの思いが強まった。教会の十字軍宣教女会を創立。

彼女の生涯は、ボリビアにおいても、スペインにおいても、特にその市民戦争の間、大きな危険にさらされ続けた。1942年、スペインからアルゼンチンのブエノスアイレスに向かったが、健康は悪化の一路をたどり、1943年7月6日死去。1992年、聖ヨハネ・パウロ2世教皇によって列福された。

聖ヌンツィオ・スルプリツィオ

聖ヌンツィオは、1817年4月13日、イタリア中部・ペスカーラ県ペスコサンソネスコで生まれた。幼くして両親を失い、孤児となった。6歳にして、母方の祖母から、聖体の秘跡に現存するキリストへの篤い信仰と、聖母マリアへの信心を教えられた。その祖母をも失ったヌンツィオ少年は、一人の叔父に託された。叔父の下で、幼いヌンツィオは、鍛冶場の助手をさせられ、過酷な労働と厳しい生活環境により、骨結核に侵されることになった。ナポリの病院に入院したヌンツィオは、そこで待望の初聖体を受けることができた。病状はよくなるどころか、ますます進み、1836年5月5日死去。わずか19年の生涯だった。1890年、教皇レオ13世は、青少年の模範として、ヌンツィオの諸徳の英雄性を宣言。1963年12月1日、聖パウロ6世により列福された。

14 10月 2018, 18:10